Interview
2019.12.25

キーワードは「江戸の美意識」。日本橋の老舗「山本山」リブランディングの舞台裏。

キーワードは「江戸の美意識」。日本橋の老舗「山本山」リブランディングの舞台裏。

元禄3年(1690年)に、茶商の山本嘉兵衛が創業して以来、300年以上に渡って日本橋の地で商いを続けてきた山本山。「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」のフレーズとともに国民に広く知られるお茶と海苔の老舗は、2017年から大々的なリブランディングに取り組んできました。ロゴや商品パッケージの刷新をはじめ、このプロジェクトのデザインを一任されたのは、グラフィックからプロダクト、建築まで幅広い領域のデザインを手がける太刀川英輔さん率いるNOSIGNER。煎茶を江戸で最初に販売した茶商であり、玉露を発明した企業でもある同社のブランド価値を現代に伝えるために、どのようなデザイン戦略が描かれたのでしょうか? 10代目山本嘉一郎社長と太刀川さんの対談を通して、プロジェクトの舞台裏に迫ります。

なぜリブランディングが必要だったのか?

ー山本山がリブランディングを行うことになった経緯をお聞かせください。

山本嘉一郎さん(以下、山本):山本山はこの20年くらいの間に、大きなデザインの変更をしないまま商品の数が増え続け、言わば母屋を残したまま建物が長屋のようにどんどん広がっているような状況でした。それぞれにつくられた時期が異なり、デザインのコンセプトも一定ではないので、全体の統一感がなかったんですね。そこで、一度長屋を取り壊し、総合的につくり直すことにしたんです。また、我々の祖業はお茶なのですが、父の代から海苔を扱うようになり、これが百貨店の成長とともにギフトとしてよく売れたんですね。それによって、山本山は海苔屋だというイメージが定着していたので、改めてお茶の会社であることを伝える必要性も感じていました。

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山本山10代目社長・山本嘉一郎さん

太刀川英輔さん(以下、太刀川):僕らがリブランディングに携わるようになったきっかけは、日本橋に新しくできる旗艦店のコンペに参加したことでした。この時に僕らは店舗のデザインと同時に、今後の山本山のブランド戦略や顧客体験を再設計することをご提案したんです。その結果、店舗は別のチームが設計することになったのですが、嘉一郎さんたちは僕らをリブランディングのパートナーとして選んでくださり、そこからブランドのロゴやパッケージをはじめ全体のデザイン戦略に関する話を、副社長である山本奈未さんらとともに進めていくことになりました。

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今回のリブランディングでデザイン全般を担当したNOSIGNERの太刀川英輔さん

山本:娘の奈未は1986年生まれで、現在はアメリカ法人のCEOですが、太刀川さんのことは彼女から推薦されました。私もミーティングに参加はしていましたが、今回のリブランディングは、基本的には口を挟まず、娘に一任していました。60歳になった私が見ている世界と、30歳の彼女が思い描いている未来は絶対的に違うはずですし、これからの山本山をつくるにあたっては、彼女の世代に近い人たちが集まることが大切だと考えていたんです。

端々に感じられた「解像度」の高さ。

ーでは、山本社長と太刀川さんが直接話をする機会はそれほどなかったのですか?

山本:実は、リブランディングを進めていくことが決まってから、太刀川さんとは幾度となく食事をしているんです。太刀川さんをパートナーに選んだのは娘ですが、店主である自分としても、彼と意思疎通する必要があると思ったからです。実際に食事の席では、具体的な仕事の話をすることはほとんどなく、ただ、この肉が美味しいだの不味いだの話していただけなんですが(笑)。

太刀川:たしかに嘉一郎さんからするとそうなのですが、僕からすると、お店の選択や注文の仕方など一連の流れを通して、まるで茶室に迎え入れられておもてなしをして頂いている感覚でした。その過程の中で、嘉一郎さんの物事を捉える目の解像度の高さが端々から感じられました。また、嘉一郎さんは山本山の10代目であり、300年というタイムスケールの中でお店を背負い、次につないでいくお立場だからこそ、歴史的な流れの中で自分たちがどうあるべきかということを常に考えていらっしゃって。そのように伝統に立脚しながらも、iPhoneなども常に最新の機種を使われるなど新しいものへの感度も非常に高く、これは下手な提案はできないなという緊張感がありました (笑)。

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今回のリブランディングでは、百貨店向けのお茶や海苔の主力商品のパッケージや包装紙、手提げ袋などのコミュニケーションツール全般のデザインを刷新した photo: 編集部

山本:そうは言いますが、太刀川さんも食事中、「社長はなぜベンツに乗らないんですか?」といったいやらしい質問をよくしてきたよね(笑)。そこで「なんとなく」と中途半端な答え方をすると、「その『なんとなく』を聞きたいんです」と突っ込んでくる。話を続けていくうちに、自分がベンツに乗らない理由が明確になってくるのですが、そのように相手の考えを引き出していく能力が太刀川さんは非常に高いんです。あと、彼は絶対に私より先に料理に手を付けなかったり、まるで商社のサラリーマンなんじゃないかと思うほど気を使うんです。私は、デザイナーたるもの独自性を持って自分のイメージを強く伝えるべきで、マーケットの空気を読む必要はあっても、人の顔色を伺ったり、社長に言われた通りにデザインをするようなヤツはダメだと思っていたので、思わず娘に「本当にあいつは大丈夫か?」と確認したくらいです。太刀川さんの仕事を知る娘は、彼はこれから時代の牽引者になる人だと言うのですが、どうもそうは見えないぞと(笑)。

太刀川:僕は常にそんなに気を使っているわけではなく、本来はもっとズボラでダメなヤツなんですよ(笑)。でも、嘉一郎さんが高い解像度の目を持っている人だからこそ、自分もそれに応えないといけないと思ったし、その中でキャッチボールをしていく時間は心地良く、大きなインスピレーションになりました。そして、嘉一郎さんの解像度の高い目があることこそが、このプロジェクトの大きなポテンシャルだと感じていました。

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江戸の美意識への原点回帰。

ーこうしたおふたりのやり取りは、今回のリブランディングにも反映されているのですか?

太刀川:嘉一郎さんとのコミュニケーションなどを通して、長い時間軸でブランドをとらえ、山本嘉兵衛商店として創業した江戸の源流に立ち返るべきではないかという方針が自ずと見えてきました。庶民の時代だった江戸期の文化を見ていくと、いまで言う企業やブランドのロゴである屋号紋、歌舞伎役者らが着物の柄として好んだ市松模様、あるいは浮世絵の中でもよく見られる縞柄など、「粋」という美意識を背景にしたコントラストが強いグラフィックがあり、これらは現代の僕らが見てもクールだと感じられるものなんですね。このような江戸期の美意識を徹底的に掘り下げることをミッションに掲げ、その中で山本山の歴史や煎茶の歴史なども紐解いていきました。

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山本:永谷園の創業者のご先祖である永谷宗円が、1738年にそれまで文字通り茶色だったお茶を青くすることに成功しました。これを江戸で初めて売らせて頂いたのが創業者の山本嘉兵衛で、それがいまの旗艦店がある場所なんです。さらに、そこから100年が経った1835年に、美味しいお茶を追求する中で6代目が発明したのが玉露です。

太刀川:山本山は煎茶や玉露の元祖であり、新しい技術を取り入れながら、お茶の文化を更新してきたお店なのですが、それがあまり伝わっていなかった。こういうことをひけらかしたくないという気持ちもあるのでしょうが、僕からするともっと胸を張って言うべきなんじゃないかと思うんですね。お店の歴史を紐解いていくと、ブランドを再構築する上で布石になるものがたくさん見つかります。今回のリブランディングでは、創業期に使われていた「山嘉」の屋号紋を復活させたり、漢字ロゴに山本嘉兵衛商店時代のお品書きの文字を用いたり、なるべく新しいものをつくらずに江戸期に戻す作業を徹底したんです。欧文ロゴも創業期にフランスで流行していた書体を使っていたりします。他にも、巻物のようなパッケージに江戸期の「くずし字」や伝統的色を展開するなど、あらゆるエレメントが江戸の美意識に立脚しているんです。

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巻物から着想を得てデザインされたお茶のパッケージ。カラーバリエーションは江戸の伝統色に基づいており、商品名の文字は、江戸期の「くずし字」を踏襲した太刀川さんの手によるものだ photo: 編集部

山本:これらのパッケージは歴史ある海外のデザイン賞を受賞し、私自身も周りに自慢したいと思えるものになりましたが、リブランディングが成功したかどうかを最終的に判断するのは私ではなく、マーケットのお客様です。現時点でリニューアルされているのは百貨店向けの製品に限られていますし、2、3年後にどのような結果が出るのかということにかかっていると思っています。

太刀川:ここまではある種インナーマッスルを鍛えるようなプロセスで、江戸の美意識を備えたブランドとしての再出発は切れたと思っています。これからは、新しい顧客にもクールなブランドとして認識されるように、イノベーション領域の取り組みも視野に入れながら、2段ロケットのようにブランドを前に進めていければと考えています。

ブランドの文脈を汲み、現代にアップデートする。

ーお茶の会社であることを改めて伝えるという話もありましたが、日本人にとってお茶というのはどんな存在だとお考えですか?

山本:日本茶は和食とも密接に関わるものですし、「お茶請け」という言葉があるように、和菓子もお茶を飲むためにつくられてきた歴史があります。また、「日常茶飯事」「茶目っ気」「お茶を挽く」など、日本語にはお茶を使った言葉が山ほどあるように、お茶というのは日本人の生活文化に密着してきたものなんです。

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創業期の山本嘉兵衛商店時代に用いられていた屋号紋「山嘉」。既存の造形に若干の修正をかけ、手提げ袋などさまざまなツールに展開している photo: 編集部

太刀川:今回のプロジェクトを通じて、お茶というのは日本の文化史、美術史を紐解く切り口になることを強く感じました。特に江戸期のお茶文化は、現代のコーヒーカルチャーさながらのヒップな文化であり、それを牽引してきた山本嘉兵衛商店には多くの文化人が集まっていたはずです。文化のコミュニティハブとしてのお茶の可能性を現代に開いたらどんな景色が見えるのかというのは刺激的な問いですし、日本という成熟段階にある国にとって、文化こそが世界と戦っていく力になると思っています。

ーこれからの日本の文化を担っていく存在として、全国各地にある老舗企業には大きな役割があるはずです。その中で、老舗の価値を現代にアップデートするリブランディングというのもますます重要になりそうですね。

山本:私は、リブランディングという言葉があまり好きではないんです。使い勝手が良いので自分でも使うのですが、「Re」というワードに「生まれ変わらせる」というニュアンスを感じてしまうんですよね。大切なことは生まれ変わることではなく、長く継続してきたブランドを時代のニーズに合わせていくこと。そういう意味でのリブランディングというのは、毎年取り組まなければならないものだと考えています。

太刀川:よくわかります。特に老舗企業のリブランディングでは、いかにブランドが持つ文脈を取り戻し、最大化させるかが肝だと思っています。経営的に厳しい状況にある老舗企業がある種の焦りから、世の中の流行を安易に取り入れたり、SNSに投稿されやすいコミュニケーションを設計したりすることは少なくないですよね。こうした取り組みによって短期的には成果も出るかもしれませんが、リブランディングということを考えていくうえでは、背景に流れる文脈や系譜からブランドの意思やポテンシャルを読み解く考古学者的な視点も大切です。例えば、僕が独断でリブランディングの方向性を指し示すよりも、あらかじめブランドが持っている文脈や美意識に根ざしたヴィジョンを共有した方が未来に広がる景色を想像しやすくなると思うし、それを促すことが自分の役割だと考えています。

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リニューアルしたロゴには、山本嘉兵衛商店時代のお品書きに使われていた「山」の文字が使われ、欧文は創業期の1690年頃にフランスで流行していた書体なのだという photo: 編集部

山本:私たちのようなお店は、老舗であることを自ら口にすることは得意ではないし、それこそ粋ではないんですね。でも、その結果として、自分たちが持つ価値が見えなくなったり、大事なことが語られなくなってしまうところがある。その中で今回は太刀川さんがブランドを外から見る立場として、中にいる人の気持ちを汲み取り、表現してくれました。このプロジェクトにおいては、私がお皿を用意する役割で、その皿に合った料理のコンセプトから考え、美しく盛り付けるまでが太刀川さんの仕事。ブランドの中にいる人間と、外から見る立場の人がそれぞれ役割を果たすことで初めて、お客様に受け入れられるものが完成すると思っています。

次世代が創る日本橋の未来像とは?

ー江戸の粋という話もありましたが、山本山が商いを続けてきた日本橋はまさに江戸文化発祥の地です。最後に、この日本橋という街の未来についても伺えればと思います。

山本:歴史的な文脈を持つ日本橋は大きな可能性を秘めた街ですし、日本の道路の起点であることを考えると、何かを始める場所としても重要な意味を持っています。だからこそ、日本橋は外から見てカッコ良い街ではなく、中にいることで楽しいと感じられたり、クリエイティブな発想で未来に向けて行動できる街になってほしい。内側から湧いてくるようなエネルギーが表出するような街であってほしいと思っています。

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2018年に日本橋高島屋S.C.新館1Fにオープンした山本山の旗艦店「山本山 ふじヱ茶房」。静謐な空間の中で、多様な日本茶や甘味、海苔めんなどの海苔が主役の料理がいただける

太刀川:日本橋が新しい文化が始まる場所であるというところに立脚すると、ここから語られるべき夢というものが生まれてくると思うんですね。そこで浮かび上がってきた夢と、いまの日本橋の街にはどんなズレがあるのかを認識し、そのギャップを埋めていくような役割がデザイナーには求められるのかもしれません。

ー若手クリエイターらも日本橋エリアに増えてきている中で、老舗が持つ歴史と新しい感性やテクノロジーが融合することで見えてくる未来もありそうです。

太刀川:江戸時代にここから生まれた文化と同じ美意識を持ちながら、まったく異なる始まり方をするものがきっとあるはずで、それを現代のテクノロジーを用いて最もカッコ良く示していくということができると良いですよね。おそらく日本橋というのは、フューチャーシティのような場所になるべき街ではないんです。日本の美意識、江戸の粋が最も良く表現されているのはどんな状況で、いま足りていないものは何か。そうしたことを考えていくことでこれからの街の大きな方針のようなものが見えてくるような気がします。

山本:私にできることは、若い世代にバトンを託すことに尽きると思っています。私は、仮に100歳まで生きたとしても40年後の世界までしか見られないし、40年後を見据えて時代や人生を変えるようなチャレンジをいまさらしようとは思えない。一方、若い人たちは時代や自分の人生を変える意欲を持っています。そうした強い意志やエネルギーを持つ人たちを集め、彼らの表現を通して多くの人が共感するような状況をつくることが街の価値になるんです。だからこそ、我々の仕事も若い世代に任せたいと思っているし、一緒に仕事をする人たちとは長く付き合っていきたい。続けていくことで生まれる価値があり、それが時代を変えていくのですが、いまの日本の若者には続けられる環境が乏しいし、うちにもそれがなかったから長らくデザインを変えられなかった。そこで私が取り組んだのが、かつての山本山を知らない若い人たちを色々な分野から集めて束ねることでした。若い人たちにはもっとがんばってもらいたいですし、この街で日本の文化に携わる仕事をしてもらえるようになると良いなと思っています。

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取材・文:原田優輝(Qonversations) 撮影:岡村大輔

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