Interview
2019.3.13

お客さま視点と“遊びごころ”が新商品を生む?「榮太樓總本鋪」が次々に具現化するアイディアの源泉とは。

最近ではコンビニの飴コーナーでもその名をよく見かける榮太樓總本鋪は、昨年創業200年を迎えた和菓子店。驚くほどの商品数やブランド展開の元となった斬新なアイディアは、一体どこから生まれるのか。その秘密を探るべく、八代目社長の細田眞さんに榮太樓の組織・風土づくりやこれからのチャレンジについて伺いました。

“心の豊かさに挑戦する榮太樓”。社是にこめられたお客さまへの思い。

―榮太樓總本鋪のルーツを教えて下さい。

初代の細田徳兵衛はもともと埼玉県の飯能で菓子商をしておりました。1818年に孫二人を連れて上京し、九段下のあたりで「井筒屋」という和菓子屋を構えたのが発祥です。徳兵衛の曾孫にあたる栄太郎は、子供の頃から父と一緒に日本橋の屋台で金鍔(きんつば)を売り歩いていて、魚河岸の人たちに可愛がられていたようです。その人気ぶりから、店名も自身の名である「榮太樓」と改め今の本店の場所に店を構え、これまで続いてきています。

―昔から伝わる教えや守っていることなどはありますか。

意外かもしれませんが、特にそういうものはなかったんです。30年くらい前に先代の発案で、ないから作ろうかということになり、初めて“味は親切にあり”という社是ができました。この社是には様々な解釈があるのですが、質の高いものを手頃な値段でお客さまに提供し、素材を生かして“味”にとことんこだわることが、お客さまへの“親切”であるという考え方がその一つです。これをさらに進化させて、昨年“心の豊かさに挑戦する榮太樓”という新しい社是を作りました。美味しい金鍔で魚河岸のお客さまの心を豊かにしていた、江戸時代の栄太郎にも通じるものがあると思います。

数ある“元祖”商品は、いつもお客さま視点から生まれていた。

―約200年の歴史の中で、甘納豆や缶入りみつ豆など、元祖と呼ばれる商品を次々と生み出されていますが、そうしたアイディアはどこから生まれるのでしょうか。

甘納豆は、弊社では「甘名納糖(あまななっとう)」と呼んでおり、初代が考えたものです。江戸の頃は小豆が高価だったため、誰でも手軽に食べられるようにと雑穀である「だるま大角豆(ささげ)」という豆を使いました。どうしたらこれを美味しく安く提供できるかという工夫を繰り返して生まれたのが甘名納糖です。これが庶民の間で評判となり、甘納豆のルーツとなりました。私は同時にスナック菓子の元祖でもあると思っています。

―まさにお客さまへの“親切”の心が商品を生んだのですね。

そうですね。またみつ豆缶の開発にも大変な苦労があったようです。この商品は一つの缶が二層になっていて、片面に蜜、もう片面にみつ豆の具材が入っていました。できたての美味しさを味わえるよう、具材を先に出してひっくり返して蜜をかけるのですが、これは昭和40年代当時の缶詰の常識では考えられないことでした。缶を二層にするために、蜜と具材とを分けるプラスチックカップを缶に仕込んで成形する必要があったのですが、これが“異物”扱いになってしまって。当時の缶詰業界では缶詰として認めてもらえず(笑)、輸出もできませんでした。

―美味しさへのこだわりが、缶詰業界の発想をも超えてしまったわけですね。

“お菓子は技術”だと思っています。容器や包装は機械で作るものが増えていますが、もともとは高い技術を持つ職人が作っていたものを、機械でどこまで再現するかが大切です。だから“機械に合わせて中身を作る”のではなく、“中身に合わせて機械を改良する” という発想になるんです。美味しいみつ豆を提供するために、機械を改良して二層の缶を作ろうと。それができないなら新しい商品を作ることはしませんし、易きには流れない。そういう方針は昔から一貫していますね。

新しい企画は部署を越えて磨き、アイディアはオープンにするもの。

―最近は数多くのコラボレーション商品を出されていますが、どういう経緯で始まったのでしょうか。

もともとは竹久夢二美術館とのコラボ商品から始まりました。絵葉書のようにメッセージを書いて郵送できるパッケージに榮太樓の飴を入れ、表面のモチーフを竹久の絵にした商品です。これが美術館のお土産としてヒットしまして、その後多くの美術館やテーマパークなどに広がり、その数はのべ200種類を超えるほどになりました。

―200種類!それは大ヒットですね。

飴ってちょっとしたプレゼントに良いじゃないですか。だから手軽に飴を贈る方法はないかと思案していた時に、絵葉書と組み合わせるというアイディアが出ました。
普通の絵葉書よりも飴が入っていたほうが貰う方も面白いでしょう?このちょっとした工夫がお土産の需要とマッチしたんだと思います。

─そういうアイディアは一体どのように出てくるのでしょうか。

社内に企画部というチームがいて、主にそこのメンバーが新しい企画を出してきます。また生菓子などは製造現場から提案が来ることもありますね。そして課内会議→営業を交えた会議→経営陣へ、という流れで商品化に向かいます。会議で精査するというよりは、皆で企画をブラッシュアップしていくイメージです。

―他にもアイディアが出やすくなる秘密があったら教えていただけますか。

特別な組織や変わったルールがあるわけではないんですよ。ただ、出てきたアイディアに対しては基本的に社員も皆肯定的で、「どうしたらできるだろう」「こんな方法もあるかもしれない」と前向きに応援する風土はあります。アイディアを実現するために部署を横断して社員が意見を出し合うんです。社員ひとりひとりが新しい企画を提案したり意見を言いやすい雰囲気や、風通しの良さはあるかもしれませんね。

─経営陣も新しいチャレンジに寛容ということでしょうか。

経営陣まで上がってきた案件で却下されることはあまりないです。でも、以前あるブランドでポップキャンディを発売する企画が上がってきて、珍しく会長が「これは売れるわけがない、ダメだ」と言ったことがありまして。それなのに企画した女性社員が「私が責任取るから売ります!」と言って押し切って、結局販売開始してしまったんです。そうしたらすごく売れまして・・・。会長も何も言えなくなってました(笑)。

─それはすごい(笑)。社員の方もチャレンジ精神が旺盛なんですね。

自分がやりたいことは主張・提案しろと常に言っています。それに上層部も取引先などから聞いた情報を現場に共有するように心がけています。どこに開発に向けたヒントが隠れているかわかりませんからね。アイディアをオープンにすることは大切です。

「あめやえいたろう」は“遊びごころ”からできた?試作を楽しみ、失敗を恐れずとにかく作ってみるという姿勢。

─別ブランドも複数お持ちですが、「あめやえいたろう」の登場は印象的でした。まるでデパ地下に現れたおしゃれなジュエリーショップです。

伊勢丹さんから改装に合わせて新しいブランドを作ってほしいと依頼されてできたブランドです。初めはあんこや豆などを使ったものを提案しましたが、「もっと他に、榮太樓でないとできないものを」と言われまして。企画部や工場で何かないかと試作段階のものを探し、試しに提案したのが板状の飴である現在の「羽一衣(はねひとえ)」。これが伊勢丹さんの担当者の目に留まり、まさかの商品化の打診があったのです。

─試作品の大抜擢だったのですね。

当時私は工場の責任者でしたが、商品化して量産するにはハードルがあることがわかっていたので、そんなこと言われてもできないよ・・というのがその時の正直な気持ちでした(笑)。工場での生産体制を工夫して、なんとかある程度の量を作れるようにしましたが、おかげさまでそれも追いつかないほど良く売れました。

板あめ 羽一衣

スイートリップ

─商品化するかどうかに関わらず試作するのですか。

そうですね。我々は“いたずらする”とか“引き出しにしまう”とか言っていますが、試作しながら遊ぶようなつもりで、時間を見つけてはあれこれ作っています。その際、商品化することはあまり考えずに「こんな物があったら面白いよね」という感覚で気軽にやっています。

─試作で“遊ぶ”とは楽しそうです。その気軽さが面白い商品を生んでいると思います。

そうかもしれませんね。商品化されてからも楽しむ気持ちは忘れないようにしています。例えばこの「スイートリップ」はもともと瓶に入っていて、その時はあまり売れていなかった。でもその後開発担当者の女性社員が、若い女性が親しみやすいようリップグロス型の容器に入れることを考えまして。このひと工夫によってヒット商品に変わりました。

─なんだか成功事例ばかりのようですが・・・、中には失敗した例もあるのでしょうか。

たくさんありますよ。20年ほど前にコンビニやスーパーなどの量販店で販売するようになってからは特に、頻繁に新商品を出すので失敗作も多いです。例えば「男のハードジンジャー」とか「すっぱすぎる飴」なんていうのもありましたが、あっという間に店頭からなくなりました(笑)。

─榮太樓にそんな異色な商品があったとは(笑)。でもそれを一度は世に出すというチャレンジがすごいです。

失敗することもあるけれど、それは許容したいと思っています。100%成功することなんてありえないですから。それよりも失敗を恐れてやらないということの方がまずい。先ほどの試作品の話もそうですが、まずはやってみるという姿勢を大切にしたいですね。

次のチャレンジは海外と健康。そこに美味しさでアプローチしたい。

─次はどんな挑戦をされるのか楽しみです。何か考えていることはありますか。

一つは海外に向けた展開です。和食が世界遺産に登録されましたが、その中には和菓子も含まれています。和菓子は実に多種多様で、世界で一番種類が豊富なお菓子だと思います。また安全で美味しいという特徴もあるので、その良さを海外にも広めたいですね。 日本酒が世界的にブームになっていますが、あれは日本酒の組合のPR努力によるところが大きい。和菓子業界も見習っていくべきだと思います。

─来年はオリンピックもあってPRするチャンスですね。もう一つの挑戦は何ですか。

もう一つは“体への優しさ”を今まで以上に追求することです。食べ物が唯一人間を健康にし、不健康にもする。だから原料にはとことんこだわっていて、黒糖・あずき・もち米といった主な原料は産地指定で仕入れています。

─それは素晴らしいです。健康志向がますます高まる中で、体に優しいお菓子は気になりますね。

2年前に「からだにえいたろう」という“低糖質”をテーマに始めたブランドも立ち上げました。そもそもお菓子で低糖質はかなり難しいので、大変な挑戦です。例えば大福は砂糖・小豆・お米が主な原料ですが、これ全部糖質ですから(笑)。低糖質の他にも、カロリーを抑えた商品や美容系の栄養素が入っている商品など種類も広げていく予定ですが、その中で最も大切にしたいのは“美味しさ”。お菓子は人を楽しく豊かな気持ちにさせるものでないといけませんから、美味しさはいつでも一番に考えます。

これからも日本橋で。働く街=住んでいる街という意識が街を温かくする。

─海外などに目をむけつつ、地元日本橋も大事にされています。

この土地で創業から200年も商売させてもらっているので、日本橋はとても大切に思っています。現相談役の言葉で好きなのが“日本橋には高級品はないけれど、一流品がある”というもの。飴玉ひとつ取っても、決して高価ではないけれど一流のものがあるのが日本橋です。

─素敵な言葉です。ほかの老舗店とも様々なコラボ商品を出していますよね。

同じ日本橋の老舗であるにんべん・山本海苔店と一緒に「日本橋もち」を作ったり、「東京暖簾めぐり」という老舗店4店舗に声をかけてピーセン(米菓子)を作ったりしているのですが、どれも銘店のこだわりの結集です。手頃で買いやすい商品ですが、“中身は一流”ということを体現していますね。

東京暖簾めぐり(ピーセン詰合せ)

─これからの日本橋に期待することは何でしょうか。

日本橋は昔から変化の多い街だったので、景色が変わっていくことに抵抗はないのですが、無機質な街にはなってほしくないですね。都心にありながらお祭りやイベントも盛んですが、これは地元住人だけでなく、企業の人たちの参加で成り立っているものなんです。このあたりは昼夜の人口差が大きく、地元民だけでは成り立たない部分も多い。だから日本橋で働く皆さんには“昼間住んでいる街”という住民意識を持ってくれたら嬉しい。そんな人が増えたらより活気と温かみのある街になりそうです。

─働く街=(働いている間は)住んでいる街と考えると親しみが増しますね。

昔から日本中の人が集まってくる街だったので、日本橋は懐が深いところです。これからこの街で働いたり関わったりする方がいたら、その風土をうまく生かして様々なことに挑戦して頂きつつ、街を愛してほしいですね。“昼間の住民”の皆さんと何か新しいコラボレーションが生まれることを楽しみにしています。

取材・文:丑田美奈子(Konel) 撮影:岡村大輔(Konel)

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